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川上音二郎・貞奴の貴重な資料を整備するプロジェクト

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文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸より出典

みなさん、こんにちは。

クラウドファンディングを紹介するインベストです。

さて、今回はいつもとは趣旨の異なる寄付型プロジェクトを紹介します。

 

かつて欧州に令名を轟かせ、日本女優の嚆矢とも言われる一人の女性に関わるプロジェクトです。

 世界に羽ばたいた女優 川上貞奴の資料をデジタル化するプロジェクト

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皆さんは、『日本女優第一号』と呼ばれる川上貞奴(本名:川上貞)をご存知でしょうか?

明治時代に芸妓から身を起こし、夫である川上音二郎と共に芝居一座を率いて、アメリカ、ヨーロッパにて興行を行いました。

貞奴の妖艶な演技とエキゾチックな容貌は欧米各国で絶賛され、なんとフランス政府からは勲章を授与されています。

日本に帰国後は後進の育成に努め、惜しまれながら引退。後に『日本の近代女優第一号』と呼ばれるようになりました。

死後、彼女の生涯はNHK大河ドラマ『春の波濤』にて映像化もされました。

松坂慶子主演 大河ドラマ 春の波涛 総集編【NHKスクエア限定商品】

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 日本の生んだ奇跡の女優『川上貞奴』の貴重な資料が、現在は『松竹大谷図書館』に保管されています。しかし、保存状態があまり思わしくないのが現状です。

また、この松竹大谷図書館は何十万点という演劇に関わる貴重な資料を収蔵しながら収入源に乏しく、経費削減に努めても赤字経営からは抜け出せないのが現状でした。

そこで、後世に貴重な資料を残せるよう、寄付を募ったのが今回のプロジェクトです。

音二郎、貞奴一座が欧米公演を行った記録資料『川上音二郎・貞奴欧米公演関係資料』通称『音貞アルバム』を修復すると共に、館内設備の修繕のための寄付を、クラウドファンディングで募りました。

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プロジェクト募集を行った結果、目標支援額250万円に対して、278万円の寄付金調達に成功しました。

波乱に富んだ生涯 家が没落し芸妓に身を落とす

それでは、そもそも川上音二郎・貞奴の生涯を知らない方のために、改めて彼女の生涯を記します。

川上音二郎は文久4年(1864年)、現在の福岡県に生まれました。

川上音二郎は、日本史の教科書の「自由民権運動」の章で習った記憶がある人も多いでしょう。音二郎は、元治元[1864]年、現在の九州博多に生まれ、「オッペケペー節」で一世を風靡した自由民権運動の壮士・俳優・興行師であり、明治という新しい時代に生まれた新演劇「新派」の祖とされ、日本演劇の近代化に大きな役割を果たした人物です。

また、妻となる川上(旧姓小川)貞は、裕福な両替商の家に生まれましたが、家が没落。7歳で芸妓小屋の養女となります。

貞奴は明治4[1871]年、東京日本橋に生まれ、美貌の上に諸芸に秀でた芸者として伊藤博文など当時の政府高官のひいきを得ていましたが、明治27[1894]年に音二郎と結婚、常に夫・音二郎の活動を力強く後押しし、後に「日本の近代女優第一号」となった女性です。

 出典:https://readyfor.jp/projects/ootanitoshokan7

オッペケペー節など国内で名声を博した後、異例の海外巡演に挑戦

元々、自由民権運動家であった音二郎は、政治風刺のために行った芝居や興行が、まさかの好評を博し、演劇家としての名声を得ます。

その人気をもとに国政選挙に打って出ますが、残念ながら落選し、莫大な借金を背負いました。

自由民権運動家としては大成しませんでしたが、逆にかつて演劇視察を称して洋行した際に得た経験を元に、海外での演劇巡行を企図します。

こうして、右も左も言葉も分からぬ中で、明治32年(1899年)に一座を率いて米国巡演を実施しました。

最初は売上金を持ち逃げされて無一文になったりしましたが、在留邦人の援助もあって公演は大成功しました。

評判は欧米を駆け巡り、1900年にはロンドン公演を実施。そのままパリ万国博覧会へ招待され、フランス大統領官邸で催された園遊会でも公演を行いました。

その際には、彫刻家ロダンから貞奴の彫刻を作りたいと申し出があったり、ピカソやドビュッシーなど後に名を残す芸術家達から絶賛を集めたのだそうです。

帰国後に翻訳劇を活発化させ、洋風劇場を建設

欧州公演より帰国後は、音二郎は海外の作品を日本風にアレンジした翻訳劇を上演し続け、後に大阪に洋風劇場『帝国座』を作った後、明治44年(1911年)に亡くなりました。

生前には貞奴と共に女優養成所を設立し、後進の育成に当たりました。

また貞奴は夫の死後、意志をついで公演活動を続けますが、大正6年(1917年)に女優引退を宣言し、大々的に引退公演を行いました。

その後、若き日の悲恋の相手でもあった実業家、福沢桃介との関係で世間を騒がせますが昭和21年(1946年)に亡くなります。

遺骸は自身が建立した、岐阜県各務原市に現存する貞照寺に葬られています。

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貞照寺 - Wikipedia

また、自身が別荘として使用していた萬松園(ばんしょうえん)も、貞照寺から程近い場所に現存しています。現在は結婚式場として民間利用されており、2018年には国の重要文化財に指定されました。

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http://kakamigahara-kanko.jp/?p=158

苦難と栄光に満ちた川上一座の貴重な資料をデジタル化

今回のプロジェクトは、川上一座が欧米公演をした際の、音二郎や貞奴の書簡、メモ、当時の様子を伝える記事の切り抜きなどを一冊にまとめたアルバムの、デジタル化と資料の修復となっています。

世界に飛び立った日本新劇の立役者の足跡を偲び、今でも多くの作品が作られる

 こうして後世に多くの資料が残されたことにより、先人の偉業を称え、二人の事跡は多くの作品として伝えられています。

二人のことをより詳しく知りたい方は是非、手にとって頂ければ幸いです。

まず一つは、NHK大河ドラマの原作となった『マダム貞奴』です。

マダム貞奴

マダム貞奴

 

 そして、舞台作家から放送作家、いまや国民的脚本家となった三谷幸喜氏が手掛けられた舞台劇『恐れを知らぬ川上音二郎一座』もあります。

恐れを知らぬ川上音二郎一座 [DVD]

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